こんにちは 永希(とき)です。
女性の職業で看護師という仕事を尊敬しています。
学生時代には、「看護師になりたい」なんて一度も思ったことありません(^^;
最近、元看護師さんと知合いになって、色々と話しを聞く機会がありました。
やっぱり大変な仕事だと改めて感じました。
看護師という仕事を辞めて、全く畑違いの仕事、ボートレーサーを選んだ女性がいます。
私からすると、大変な仕事ばかり選択している女性ってどんな人なんだろう?と興味があったので調べてみました。
孫崎百世(ボートレーサー)のプロフィール経歴は?
プロフィールはこちらです。
孫崎 百世(まごさき ももよ)
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出典:BOATRACE http://app.boatrace.jp/
生年月日 1988年10月23日(28才)
出身地 北海道釧路市
身長 155cm
体重 44kg
血液型 A型
登録番号 4941
所属:滋賀支部
登録期 119期
級別 B2級
日本舞踊、ピアノ、英会話、水泳もこなす器用な人のようです。
3歳でアルペンスキーを始め、中学3年時には北海道中学大会で8位に入賞しました。
両親の勧めでニュージーランドに留学。
高校:Mount Hutt College(2007年卒業)
大学:Mt Hutt College Methven(2009年卒業)
孫崎百世(ボートレーサー)の前職はなに?
ニュージーランドでは、山スキーをされていました。
帰国後、Libertyskisというスキーブランドからサポートを受けているプロスキーヤーに。
厳しい環境に身を置いて学びたい
との思いがあって、帰国後は京都市内の看護学校に通って看護師になられました。
京都市内の病院の救命救急センターで4年間勤務。
プロスキーヤーで活躍することも、一般人からは厳しい環境だと思います。
孫崎百世さんは、さらに自分自身で厳しい環境を選択されて、志の高さを感じます。
[ad#]孫崎百世(ボートレーサー)がボートレーサーを選んだ理由は?
ある日、同僚とびわこ競艇場に足を運んだそうです。
若い女性が競艇場に足を運ぶことって、そうそう無いと思います。
何か、引き寄せられるものがあったのでしょうか?
孫崎百世さんは、競艇の迫力に圧倒されたそうです。
ボートレスは、実際に近くで見ると音もスゴイし、スピード感があり、臨場感があるでしょうね。
この頃、看護師をしながら、国際ボランティアで活動したいという思いが強くなっていたそうです。
でも、国際支援の現場はすぐに見つりません。
資金をためてから現地に行く方が現地のためになるのでは?
今しかできないボートの魅力の方が強くなり、選手になる為に養成機関「やまと学校」(福岡県)に2度目の試験で合格。
競争率は約35倍で、第119期生の最年長でした。
競艇や競馬学校の入学って厳しくて、競争率も高いのに合格するってスゴイです!
約1年間の厳しい訓練を終えた後、2016年11月29日~12月4日デビュー戦で8レースに出場。
最下位6回、失格2回の結果でした。
先輩とのレベルの差が分かり、がく然とした
その後の競走でもほとんどが最下位でした。
ボートレースの多くは男女の区別なく、技術や経験が大きくものをいう世界だと聞いています。
厳しい世界ですよね。
熱心なファンの方もいらっしゃるみたいです。
(徳山🚤)一番乗りは 孫崎百世選手💕
なんとなく最近どこかで会った気がすけどf(^^; ちょっと強めの寒風のなかでも、元気な笑顔で対応してくれました🎵初のモーニングレース🌄
張り切ってました☺ pic.twitter.com/G1eudb8XUG— ぱきらくん (@ir9NfTerZKqUPUr) 2017年1月24日
(徳山前検)孫崎百世選手✨直接会うのは4回目でだいぶお会いしましたね!住之江のトークショーもいれたら5回目だった💦いつも応援してるよっ♪がんばってね!! pic.twitter.com/25Cwki2ZN9
— ようへい (@youheikz1) 2017年1月24日
ボートに乗っているとアドレナリンが出て最高に楽しい。
自分がレーサーになったのは運命。がむしゃらにやりたい。
同じ年齢の先輩レーサー、A1級で勝率が7.52の遠藤エミ選手のようになるのが目標だそうです。
元々、アルペンスキーのレーサーですから、スピードの感覚が一般の人よりも優れてると思います。
スキーからボートに変わっただけで、きっとレーサーという仕事がお好きなんでしょう。
今は50才まで続けたいと考えているそうです。
海外ボランティアの仕事は、レーサー後でも出来ますから、心意気をずっと持っていて頂きたいと思います。
危険なスポーツですから、気をつけて成績を残していって欲しいです。
競艇はしないけど(笑)、応援しています。