宮部行範(スピードスケート)の病気は?妻や子供兄の現在についても








こんにちは 永希(とき)です。

1992年アルベールビル冬季五輪のスピードスケート男子1000mで銅メダルを獲得した宮部行範さんが7日に東京都新宿区の病院で48才の若さで死去されました。

日本スケート連盟関係者も驚かれているようです。

アルベールビル五輪は、かろうじて記憶があるくらい。

お名前だけは記憶に残っていました。

宮部行範(スピードスケート)のプロフィールは?

宮部 行範(みやべ ゆきのり)


出典:日本オリンピック委員会 http://www.joc.or.jp/
生年月日:1968年7月18日(48才没)
出身地:東京都葛飾区
所属:日本オリンピック委員会(JOC)職員

5歳のとき父親の転勤にで釧路市へ転居したのがきっかけでスケートを始めました。

中学1年時に埼玉県へ転居しました。

埼玉県立春日部高等学校から青山学院大学進学後、三協精機(現在の日本電産サンキョー)入社。

24才の時にアルベールビルオリンピック代表となり1000mで銅メダルを獲得しました。

500mでは18位、1500mでは9位。

当時のスピードスケートは、屋外で一発勝負でした。

今よりも不公平なルールでしたけれど、その分観戦していてハラハラしていた思い出があります。

2年後のリレハンメルオリンピックでは1000m14位、1500m21位でした。

1994~1995年シーズンのワールドカップ(W杯)男子1000mでは男子の日本選手として初の種目別総合優勝を果たしています。

2005年にJOC職員となり、2014年のソチオリンピックは本部スタッフとして選手団のサポートを担当されていました。

最近は体調不良で長期休養を余儀なくされていたそうです。

病気の発表はまだされていないので、わかり次第お伝えします。<<br>

宮部行範の兄宮部保範(スピードスケート)の現在は?

亡くなられた宮部行範さんの兄は、宮部保範(みやべやすのり)さん(50才)でスピードスケートの選手でした。

弟とともに出場した1992年アルベールビルオリンピックでは500m5位、1000m19位でした。

1994年リレハンメルオリンピックでは500m9位。

全日本スプリント選手権で第16回・第17回・第19回・第22回と4回総合優勝をされています。

現在は北海道で「株式会社ミヤベスケートプロモーション」というスケート関係の商品を取り扱っておられます。

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宮部行範の妻や子供は?

調べてみましたが、まったく情報がありませんでした。

もしかすると、スピードスケートを引退した時から病気と向き合っておられたのかもしれませんね。

88年カルガリー五輪男子500メートル銅メダリストで、現在は日本スケート連盟のスピード強化副部長を務める黒岩彰さん(55)は

「とにかく自己に厳しく、頑張り屋な選手だった。先月もJOCの職員と『元気にしているかな』と話をしていたのに……」

と落胆していた。

体調不良が続く病気というのは、どういう病気が考えられるでしょうか。

体調不良が続くというのは、ゆっくりと症状が進んでいくということもありますね。

特に、症状の出にくいがんや肝臓、腎臓の不調は慢性的な体調不良を起こすと言われています。

平昌オリンピックでもまた、後輩をサポートしようと闘病されていたと思います。

まだ48才とお若いのにとても残念です。




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